村上龍
何のために努力をすればいいのかを分かった人、あるいは努力の対象を見つけられた人、こういう人たちが成功者へのスタート台に立つんじゃないでしょうか。
愛想笑いは世界共通で、ばれてしまうんです。本当に心から笑うと、笑い顔が普通の顔に戻るのに時間がかかる。でも、作り笑いとか愛想笑いはすぐ戻る。
この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない。
怯えていた妄想が事実になればもう大丈夫。事実に怯える必要などない。その事実を認めて何日間か泣けば良いだけだ。
真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意と絶望が隣り合わせに存在している。
経営者というのは、安定した正三角形の頂点に君臨するのではなく、不安定な逆三角形の最下部で会社と社員を支えなければならない存在だ。
世の中には、好きなことを仕事にしている人とそうでない人の、2通りしかいない。
誰かに何かをしてあげたい、何かをしてあげることができる存在になりたいという思いが、どれだけ普遍的で切実なものなのかを、これから日本人は思い知るようになると思う。
グローバル経済、あるいは金融市場主義には明らかな欠点がある。しかし、だからといってその欠点を列挙して懐古主義に浸るわけにもいかない。リスク管理の方法は、多様性を維持することしかないと思う。
現代のような、ミモフタもない市場社会では、ほとんどすべての成功者は、「ミモフタもなく努力した」ために成功をつかんでいる。
成功者の定義と条件は、誇りや充実感のある仕事と信頼できる最小限の共同体を持っていること。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
『俺は必ずやれる』という意思と喜び、それを才能という。決め付けちゃいけない。才能が無いと決め付ける方が楽だ。
金だけでできることは面白くない。金だけではF1チームは作れない。ノウハウの蓄積が必要で、そのノウハウは自分で手に入れない限り、誰も教えてくれない。
そして、この世の中で面白いことはすべて不動産屋的発想ではできない。この種の発想に寄ってくるのは男も女もカスばかりだ。
美しいものと一緒にいると、自分は間違っていないと思える。美人は三日で飽きるというのは、ブスの自殺を救うための嘘である。
競争社会は、能力を磨く社会であって、他人を蹴落とす社会ではない。
幸福って曖昧で、定義もはっきりしていないですから、何にいちばん幸せがあるのだろうとか、そういうことを考えるより、自分にいちばん気持ちがフィットしたり充実したり、刺激的なことを、何かを始めることですよね。
お金で買えない物は沢山あるが、お金があれば回避できる不幸が多いのも事実だ。